「水平な床から立ちあがる空間のなかに武闘はあるのだけど、踊り手が寝たり、立ったり、飛び跳ねたり、一挙一動するごとに、床面はひずんで、沈んだり盛りあがったりする。そう見える。その揺れ動く床面を徹底的な水平状態に保つこと、その点で踊り手と対立することが舞踏にかかわる自分の一つの意識だった」
そんな舞台美術、それまでにあったかしら?
オペラやバレエみたいに踊り手、役者、歌手を美しくみせる、ストーリーを盛り上げる舞台美術とは真逆です。
「絶対的に静かな水平状態を夢みるために、一方で、垂直ということをいつも頭に浮かべている」
画家だからですね。
「水平と垂直の対応、それは画家としての自分の意識のあり場所で、だから、舞踏にははじめから画家の立場で対立的に関係をもったわけです」(着陸と着水 1995年 カタログ展覧会後記より引用)
空間をかきまわす踊り手、そうはさせない中西さんの厳しい水平面。
そのバトルが舞踏を育て発展させていったのでしょう。
今回の会場は中西さんのアトリエだったところでたくさんの絵画平面作品が制作されてきた空間です。すなわち、たくさんの垂直が生み出されてきたということで、その床には都度、絶対的な水平面も同時に発生していたということになります。
実験パフォーマンスではそのアトリエ空間にわたくしの立つ行為をもって垂直線を立てます。
ロックバランシングのピュアでスリリングな強い垂直線と一緒に、アトリエの床に、はたまた地球の真ん中に向かって垂線を突き刺します。
では音は? 竹田さんに聞きました。
「サラウンドのおもしろいところは場を包み込むのではなく離散的なものであること」
その場によって聴こえてくるものがちがう・ローカルな音・一点に集中させることなく、中心を中心でなくしてしまうようなもの・離散構造・・・
「そもそも音は個別的なもので聴く人によって音は変わる」
ふむふむ。
「立ちたさ」は身体の中とまわりの空間、環境に意識を向けたり感じたりしながら立っていくのですが、前回のBarnett Newman14点の連作に囲まれて立った時のように、360度、まわりのものを1本の線に集約していく行為とも言えるかもしれません。
となると、離散構造のものがそこにあるとそれが難しくなる!?!
バトルになりますね。 わくわくします。