2016年10月30日日曜日

『Newmanが背後にいるのですか??』

2014年の「立ちたさ_」展に学生時代の恩師がみに来てくださいました。
その時わたくしは公演のある日でギャラリーにはおらず、お会いできませんでしたが、
ノートにメッセージを残してくださいました。
 たくさんお世話になっておきながら、この活動をしていることはなかなか話せず、
展覧会のお知らせも1度も送ったことがありません。 それなのに、どこぞで情報を目にされ足をはこんでくださったようでした。もうびっくりしすぎて息が止まりそうでした。
メッセージの最後に
         『Newmanが背後にいるのですか??』
                           とありました。
いないわけありませんよっ!! 先生!!

学科の先生でBarnett Newmanの「Sublime」崇高、崇高さ について考える授業でした。
わたくしがNewmanと出会ったのはまさにこの授業。さっそく川村記念美術館へ「アンナの光」を見に行きました。
まず、その絵画がつくりだす “ 場 ”に圧倒されました。画面の赤が床にも反射している。
近づいていくと焦点も定まらず、その赤い色に染まる。となりにいる友人も赤い。
絵筆を持ち、手足を動かしながら描いているNewmanも確かにこの画面の前にいたのだ。
「何を描いている?」その「何」というものなどはとっくに突き抜けている。
           光そのもの。           衝撃的な出会いでした。

その授業では抽象表現主義についてのみならず、「抽象と感情移入」「存在と時間」など興味深いお話が次々引き合いに出され、それがNewmanの絵画とどうつながるのか?
自分が体感したこととあわせて自分の頭で考察していく作業が実に困難でまた楽しく充実した時間でした。
学校を卒業してからもその先生にはNewmanに関する文章の翻訳を手伝っていただいたりしていました。どうにかしてもっとNewmanを知りたい。勉強したい。近づきたい。。
NYにも行きました。20代の頃です。

その後、中西夏之さんや岩下徹さんとの出会いを経て、今の自分の言葉で言うと

重力から切り離され、ただ垂直のみにあって、うすっぺらい布にすぎないのに
広く深い空間・時間性をはらみ、みている人の心や感覚をぐるぐるかき回す。そして、
貧弱ながら自分の身体に立つ垂線と水平方向の視線をもって目の前の作品と物理的、感覚的、精神的に響きあうことで 今、ここにいる、自分自身も実感する。
そんな絵画、平面作品に強いあこがれをもっており、自分にとってはその最たるものがBarnett Newmanの絵画なのです。